軽くなりたい.心を軽くして生きたい.昔,職場の先輩クリスチャンに,心が軽くなるのは良いことだ,と言われたことがある.当時と比べれば,人生に必要な物は思い当たるところ全て得た.当時身体も心も重すぎたのは,それらを得られていなかったからだったろう.今はだいぶ心が軽くなった.しかし,心の豊かさやゆとりをまだ得る余地があるように思う.もっと軽くなりたい.もっと軽く生きたい.心を軽くしたい.
今日自炊代行の集荷がやって来て,数学書たちが運ばれて行った.2ヶ月後にPDFデータになって返ってくる.それはいいことだ.書斎に空きができたので,椅子と机のレイアウトを変更し,朝に陽射しの当たる机と部屋全体を眺められる位置に椅子を置けた.今その椅子で寛いでこの文を打っている.欠乏感がない.物質的な不足がなく,かといって意欲が消えたのではなくて,やりたいことが自然といくつか浮かんでくる.
自分固有の発生源に頼らなくても,やりたいことは湧いてくる.あの人がやっていたことを自分もやってみよう,そんな動機でも自分のやっていいリストに加えていいんだと思えた.今までは自分の中にしか動機付けを設定していなかった.誰かの話から自分のやりたいことを真似してみても,自分にとって新しい発見なので,人生の楽しみとして成立する.これに気づいたのは今だ.37歳の半ば,遅すぎたかもしれない.
自分だけがやりたいことは,自分得なだけで,誰かを富ませるわけではない.完全に隔離された贅沢な趣味に残り時間を使う人生を,私は手放そうと思った.今まで得てきた多くの本や服や情報を,少しずつでも捨て,身軽になり,すぐに簡単に行動できるように変わりたいと思う.アマチュア研究者として多くの時間を費やしてきた半生には意義を認める.しかし,それを売って生きていないので,いつ閉じてもいいはずである.
