この2〜3年で,保有する米国株式の値下がりによって800万円失ったが,その有難みについて考えたい.というのは,800万円を失って今は感謝しているからだ.もし失っていなかったら,あの気分のまま傲慢な行動をとるようになっていただろうし,信仰の本質を見失って謙虚さを理解するようには決してならなかった.金銭感覚も狂うばかりだったはず.今はミニマルな人生を好むことで,人間的にまともになれた気がする.
800万円を失って,大事なものを認識できた.お金それ自体,例えば10万円の貴重さは感謝と結びついた.昔は一晩で簡単に増やせるものだった.資産残高が300万円を切る今でも一晩で数十万円上下することはあるけど,不要な物を買う無駄を反省できたし,節約する楽しさを体験できた.持ち物を減らせる人になれたのも大きい.物を売り,捨て,処分し,整理できる人になれたのは,資産が減る身軽さの体験からだ.
しかし,昔の資産持ち時代の経験のおかげで,得られた考え方もある.まず,お金にこだわらなくなった.守銭奴や吝嗇家にはならなくて済んだ.お金を人のためにあげたりおくったりしている.今の自分は豊かで,充分で満足しているので,昔の貧しかった自分よりも余裕がある.やりたいこともやってこられたと感じている.1千万円を超える額を持っても幸せではないことも知った.資産にも適正量があるということだ.
1千万円の資産は,人生でいずれ達成するアンカーだった.それを私は35歳で達成しただけのこと.その達成で,さらに積み上げようとする若い人もいれば,もう満足したので減らしていこうと考える人もある.私は後者だ.そんなにいらない.多く持つのではなく,少なく暮らす.生きているだけで与えられるもので人生は充分である場合も多い.この世の価値や資産は必要なだけ持てればそれでいいものにすぎないかもしれない.
