社会人になって通算10年が経過した.10年前,学生だった頃に思い描いた生活は全て想定以上に実現した.気に入った部屋で収入は低いが困らず,音楽と本と少しの食べ物があれば生きていけるという想像は,クリスチャンや合唱団員やウェブプログラマという役割を与えられ,何倍にも増した充実感となって得返ってきた.今の生活に不自由も不満もない状態が長いこと続いていて,将来の見通しも立ってきたと感じている.
私はパーソナリティがシゾイドな人間で,誰かといるより一人を好む.それでいて平和主義者で,世間離れした思想を持って,芸術とともに心豊かに暮らせる人である.それもあってこの生活を継続できている面はある.本当は人間関係や自己葛藤で苦しんで過ごす年齢だと思うが,私はそうした苦悩から全然免れている.本当は向き合わなくてはならないかもしれないし,そうしなければ年相応の成長が得られないそうだが.
職場の人たちには仕事によって私のこの生活を実現してくれているわけだから感謝している.感謝するしかない.多少の望みが潰えても,人生80%でも多い方だと思う.6割で良いのだと思う.そういうわけで,生産性は求めず,昇進や昇給も求めず,淡々と働いて暮らしを満足させられれば,それは幸せな生き方であると思うようになった.勿論,仕事や生活への考え方は人それぞれ多様なので,人のそれを否定しないようにしたい.
私はこの生き方で過ごしてみたい,そういう方針が固まった.今は楽しい.お金にも役割にも困らないのは学生時代に得られなかったので大きい.意外と人生は思うものを獲得できる.主に全て委ねて祈り願ったからだろう.もし願いが叶わず毎日苦悶の表情を浮かべて生きている人がいるなら,主に祈り求めたら良い.必ず思いがけない仕方で十二分に得させてくださる.信じる者になったから私は今こうしていられるのだ.
