学生のときから考えていたことだが,Webをキャンバスとする.そこに自由に知識を配置してよいとする.もっとも理想的な配置とはどのようなレイアウトであるか.もっとも見やすい,また,一覧性の高い,訴求性のある,整理された,精緻な印象を与える,と挙げていけばほんとうにたくさんのレイアウトが存在できることが分かる.配置する知識によって,どのような記号を用いるかによって,場合による解決をみる.
この問いには,書籍,新聞,広告といった答えがある.それらは長い歴史がある.しかし,それらには作りやすいという作り手側の意図を含んでしまっている.安価に印刷できる,製本しやすい,一度にたくさん運搬できる,など.Webの特徴を挙げたとき,それらとWebは異なると分かるので,それらの持つ性質をWebで実現させることや,Webでしか実現できない強みを巧みに取り入れることを考えられる.
知識をどのように表現してきたか振り返ってみる.文章,箇条書き,図鑑,地下鉄の料金表,グラフ,数学記号.身の周りを回ってみても,さまざまな特徴がある.一概に記号といえるが,記号の組み合わせで知識はほとんど表現できることを認めざるを得ない.私はどうも総覧性を目指してしまう.物を収集してしまう,まとめ買いしてしまう,その心根を知識に求めがちである.だからそういう筋なら考えが進んでいける.
Webを使った知識表現には,すでにテーブル,CSSレイアウト,ホバーやモーダルなど,Webデザインの要素を組み合わせれば,大抵のことは表現できてしまう.それをどのくらいの精度で,どのくらいの職人技で,コントロールしていけるか.どうやら新しい部品表現が欲しい時期が来ている.しかしながら,既存のもので充分である気もする.斬新で有用なWeb表現を追求していけたらいいと思う.
