多分,私はまだこれからの人だ.だが,老いは確実にやってきている.身体的にも精神的にもまだ老化は感じない.兆候もない.でも,今のままでは生きる強さが得られていなくて,弱い余生になる.キリスト教の信仰は持てているので,弱さも悪いことではない.ただ,教会とうまくやっていく自信はなくて,教会に通えなくなる日が来る可能性があり,おそらくそのことが今老後を心配する種となっている気がしている.
老後にやることがない.最近,やりたいことを少しずつ今からやっていこうということで,仕事終わりや休日に,老後と同じと想定した時間の使い方で,やりたいと思ったことをやっている.街の散歩や,行きたかった場所に行ったり,文学を読んだり,小論を書いたりしている.でも,これらを老後にやっても楽しいだろうか,これらをやる老後でいいのか,との思いがわき,やりたいことが本当はないのではと疑っている.
好きなことをして過ごさねばならない道理はない.何にもせずにぼうっと過ごしても,誰も何の文句も言わない.それでいいのかもしれないとも思うのだ.今やりたいこと好きなことは今やるのであって,その連続が老後まで続いていて,今やりたいこと好きなことを今やる,に変わりはない.そのために老後も健康に資金面も不足なく整えるのが今この年齢であり,あるいは,それくらいしておけば良いくらいのことなのだろう.
身体は着実に衰える.資産は少しずつ失われる.その減衰ゲームが死ぬまで続く.今やりたいことってなんだろう.死ぬまでにやっておきたいという方向もあるし,今しかできないことを今やっておきたいという考えもある.本当にやりたいことってなんだろう.今は思いつかないのだ.一体何のために生きているのだろう.こんな空疎な問いを,老後も死ぬまで離れずに考え続ける可能性は高く,空しい時間が過ぎていくばかり.
