その人を尊重し大切に思うことがいかに難しいか.この多様主義の現代にあって,否定は古めかしい修辞だ.認めるしか選択肢はない.というのも,ポストモダンとは全ての認めない根拠が崩れている文化のことであり,どんな構築物も許されている一方で消費されすぐに取り壊される環境のことであるからだ.何を作っても良いが何でもすぐに消え,評価も残らないまま忘れられる.急激な構築合戦が延々と続いている状況だ.
作品を以てその作者を評価するという前世紀の安定した態度は,今や痙攣的というまでに神経的に変化した.あまりの多くの創造物が作られては消費され,多くを追っている間に忘れ去られ,大事なことはただ認め合うこと,といっても見過ごされ忘れられるのだから,認めるといっても薄い認識にとどまり,誰もが見た人たち全てを深く知ろうとしない.特定の推しになることはよくあっても,関心の偏りが生じることは否めない.
この人々の関心の偏りのために,推されない人が苦しんでいる.誰からも見向きもされないから推しの一員となる,という層の人たち.推しの仲間に入ることで関心を持っていることを示し,関心を提供する側に回る自分の意義を肯定する.これも推しを尊重し大切に思う多様主義のひとつの形態である.しかし,やはり彼らも関心に偏りがあり,全ての人を推すことはできないし,同時にある人たちを無視否定せざるを得ないでいる.
多様主義において,全ての人を尊重することができないゆえ,関心の偏りによって,尊重されない弱者が必然的に生じる.そこに葛藤や自己変革が加わり,いつか多くの人たちに認められる日を夢見て,承認戦争に参加する.誰にも認められない人が多様主義の中で生きるには,少しの人でいいから認められることが必須であるように感じる.誰かの関心のうちに住まわせてもらいたい.人々はその欲求を抱いて日々生きている.
