私は浅学非才な身なので,何か物事を語ることがまだできない.しかし,いずれ語れるようになってみたい.それが私のなりたい姿,部録に書くことこそ,やりたい.語るということは,聴く側を尊重し丁寧にかつ愛を持って語る態度が必要だと今は思う.そこまで緻密な論理をまだ構成できないし,主題についての知識も全然浅い.だから私がなりたいやりたい目標に達するには,自分の生活を諦めてもっと勉強せねばならない.
Koboで最近は読んでいる.紙でしか売っていない本も数冊買った.今月まだ4冊と論文2本しか読みきれていない.それで,教会について最近思うところがあって,信仰と離れきっていないところで思考が進んでいる.思考し新しい知見を見出そうとしている今は,辛く苦しい時期.成長痛だ.でも筋肉と同じで,栄養を補給していれば肥大し力がつく.人文学の事情に精通し,物を語って立場を理解できる人間になりたいと思う.
Twitterで心無い呟きを見かけるとき,対話の難しさを覚える.他人とは地獄である.しかし,そのあたりのアカウントを見てみれば,この時代の言論の現実が手に取るようにわかるはずなので,理論武装できたらTwitterで議論の過程を探してみようと考えている.傷つくかも知れずちょっと躊躇するが,私の関心は今そこに向いている.現代の実情を捉え直したいと思っている.それをいつまで続けるかの見通しまではない.
今この世界でSNSが分断を起こしているという,その要因を分析して知りたい.自分の思考がどれほど世界の現実と合っているか試したい.今の自分の力では到底理解もできないし参加しても混乱するだけだ.だから相当鍛える必要を感じる.対話とは訂正し合うことだという.私も人間理解の精神を育みたいと思っているのだが,どこまで行っても完全にひとりの人を把握することさえできない.どこまでやるかも考えておきたい.
