過去について悩んでいる.人は自分についてどのような感覚を持っているのだろう.いつでも参照できる自分があって,過去の自分を思い出すことができ,今の自分と比べて反省できる人も多くいると思う.私は,自分がない.過去もない.思い出がない.私にはメモリがないかのように,過去を思うことができない.これは度が過ぎていると病気である気がしてくる.思い出す内容がない.私は何も覚えていないかのようだ.
思い出こそ財産だと言われる.死ぬ前に病床で思い出すのは,お金でも知識でもなく思い出だという.私はこれがとても心配だ.私は思い出がないからだ.思い出すことがないのだ.思い出して面白かったと思える思い出がないどころか,思い出そうとしても感情のない一光景くらいしか脳裏に閃かず,何か人生の意義とか思いの記憶といった脳の機能が私には欠落しているかのよう.思い出を保存する機能も思い出す機能もない.
これは困った.私は一体何のために生きているのか.最期の病床で私は何を思って死ぬのか.好きな光景だろうか.いくつかの文字だろうか.単なる人の顔だろうか.その程度である気がすごくする.楽しかった思い出がもし思い出せるなら,その思い出し方を教えてほしい.思い出を覚えておける方法を教えてほしい.ずっと楽しいと感じる思い出の作り方も.人にも自分にも見えない領域のことだから,気づかないとそのままだ.
私に精巧な精神が宿っていると私には感じられない.私には何か重要な機能が備わっていないと感じられる.人が普通に宿しているその何かが私には何もない,そんな感じだ.それを今から獲得できる方法はあるのか,私は希望を持てないでいる.相当の苦痛や苦労を伴うなら,私は今のこの何もない機能のまま生きたい.思い出にそれだけの価値があるとは思っていないから.ただ私を悩ませるだけであるなら,私には不要なものだ.
