活動を減らそうと考えている.精神的に限界を迎えていると感じるからだ.この3週間,ずっと憂鬱で,主に救ってくださいと祈っても助けはない.代わりに急な事件が起こるばかりで,憂鬱どころか気持ちが落ち着きもしない.昨日は合唱団を休んだ.日曜に教会で濃厚接触の疑いがあり,検温したところ37度台だったことを牧師に告げると,キットでの検査と合唱団を休むべきだと強要された.これを機に,活動を減らそうと考えた.
何を軸に生きていこうかという問いでもある.仕事と礼拝をとる.すると,必然,上司と牧師が私の重要人物になる.今後も影響を受け,指示に従い,強要に応じることになる.それで幸せだろうか,あるいは半ば義務だろうか.仕事は必須で,礼拝は受洗した身として必須.そう考えれば,他に選択肢はない.これらで精一杯であるならば,他を断って全て辞める,という選択になる.それで良いんだろうか.本当に満足できるのか.
教会の位置付けが変わってきている.以前は絶対行きたい場所だったが,今は人生を左右する恐ろしい場所と思う.人生の楽しみを制限することもある.心情的に辛い反省を促され,世間から離れた考えを植え付けられる場所でもある.今は教会が空恐ろしい.本当に教会へ通うことが人生を豊かにする選択なのか,わからなくなってきた.豊かさと引き換えに,確実さを求めるなら,教会はありだと思う.通って失う何かを考えたい.
人生,得れば失う.だが,失えば得るとは限らない.今私は持ちすぎているのなら,手放すべきだろう.今の活動量を継続できないと判断した以上,活動を減らさねばならない.たまに思う,死が近づいた時に棄教する画を.私は天国へ行ってもひとりでいたいと.教会の墓地には埋葬しないで,父と同様,海に散骨して欲しいと.教会から離れる人生の方が良いのではと思い始め,限がない思索によって憂鬱に過ごしている.
