憂鬱は,自己防衛らしい.自分の心や世界を守るために憂鬱という機能があるらしい.私は今,17歳の時の憂鬱に比肩する憂鬱を持っている.17歳の時は高校を退学したので,その癖があるからか,今回もいくつか辞めようと思っている.仕事は自分から辞職することはしたくない.他の活動を減らすことを考えている.原因は教会,特に牧師にあると思っている.なので,教会へ行くのを減らし,いずれ辞めようと思っている.
合唱団を辞めることも考えた.練習に参加できるほどの気力がない.9月まで団費を払っているので在籍はしようと思ったが,練習に出ないのなら追いついていけないので,退団になるだろうと考えている.ボランティアはゆるいので,とりあえず在籍し続け,月に2回くらい活動し,できない時は休んで良いので休む.そのくらい,何かすることを減らし,やりたいことは,まずゆっくり寝たい.身体は疲れていないんだけど.
礼拝こそ賛美こそ生きる糧だと今は思えない.今は反対に,イエスの教え,というか牧師の説教が重すぎて,幸せも活力も何も運んでくれず,むしろそれらがすごく下がる.礼拝に行くたびそうなる.直近の3回は行くたびに生活が重くなり,手がつかなくなっていた.これが何を意味するか,言葉にならないが,神さまの御心がそうさせるのなら,私が何か悪いことでもしたのか,あるいはヨブ的な意図なのか,もう考えたくない.
教会が原因のこの憂鬱を,教会活動が晴らすとは考えにくく,教会から離れたく思う.本当は今すぐ辞めたいのだが,教団の社会委員を仰せつかっているし,役員会のオブザーバーでもあるので,ぼちぼち参加はしなくてはならない.まあこれらもゆるいので,休みますと言えば休めるものだ.ともあれ,牧師が原因のこの憂鬱,人生によくあることかもしれないが,このままでは人生が暗転しそうで怖くもある.大丈夫なんだろうか.
