仕事をいつ辞めてもいいと考えていることがわかった.自分から辞めることはしないのだが,もし職場で必要とされなくなっても,全然大丈夫と思える.別に今の職場に未練もこだわりもないのだ.なので,迷惑を掛けても負担を強いてしまっても,気にしなくて良く.長く勤続することではなく,明日も会社に行くことを目標にできれば充分だから,職責が重くなっても,いつ首になっても良いと軽く考えて良いと思えるようになった.
資産的にも,2年間ふらふらしていても生きられるし,アルバイトするならその期間はもっと延びる.スタッフとして来ないかと誘われている福祉系の事業所もあり,最賃だがアルバイトよりは実入りは良く,生活は楽にできる.いずれにせよ,今は稼ぎ時だというわけだ.今まででもう買うべき必要な物は買い尽くしてしまった.無期雇用になるこれからは楽ではないだろうが,いつ首になっても生きていけるという確信がある.
今の生活を構成する全ての活動から離れ,完全に何もしないという生活を選ぶことも考えた.ただ,それは区切りにはなるがすぐにまた活動することを求めるだろうから,今の活動を新しい気持ちで捉え直せば済む話に過ぎない.会社は変えないし,ボランティアも所属するが,教会からは離れ,合唱団は辞めてしまおうと思う.その分,何もしない休日を増やし,ぼうっとする時間をもっと持つようにして,精神を楽させてあげたい.
今の私には,活動の継続よりも読書が向いているように思う.思索をしたい.信仰せよと牧師はいう.神を神とせよ,と.でも,もし幸福になるために生きているのだとすれば,読書と思索こそ,今の私が幸福になる活動だと思う.生活を変える時期が来ている.動くことは得意だ.ただ,急に一気に変えずに,無期雇用として雇用される10月から生活が新しくなるよう,少しずつ調整し,お世話になった活動には感謝で別れたい.
