日本が後進国になる未来を私は生きていく.円安が1ドル200円以上に進み,雇用は空洞化し,産業の花形もない.固有文化は温存できても,意味や構造は変わっていく.私には大きな痛手とは思わないが,旅行する機会はめっきり減り,良質な食材が行き渡らなくなる.街は観光地となり外国人の旅行客が増え,土地は中国に買われ続け,外国人労働者も来なくなる.街中が閑散とする日本.しかし私はこの変化を望んでいた節がある.
私の望んできたような日本になっているのである.高度成長からバブルまで,お金や物質の豊かさや都市開発や新技術に夢を見すぎていて,どんどん多くの日本人たちがそれらに価値を見出さなくなっている.東京は住む場所ではない,田舎でのんびり暮らしたい,贅沢より倹しい暮らしが向いている.アングロサクソン的な経済軍事技術による価値観が日本には馴染まないことを,20世紀後半の日本人も実はよくわかっていたのだ.
私たち日本人は,明治期の文明開化以前,どんなふうに暮らしていたか.それを思えば,これからの日本の未来は,江戸までの日本を現在の遺産でアップデートしたような,非常に好ましい暮らしになる,と私はそうとしか思っていない.なぜなら,これから日本に降りかかる変化は,日本的な暮らしにとって,大して痛手でもないからだ.日本人らしい暮らしに戻ることが,地理地政的に日本に馴染む暮らし方の模索を意味するから.
日本は経済大国になる素質はあった.実際に一時はそうなった.その方向では努力を放棄したが,同じ努力を暮らしに向けているのが現代の日本人である.古今東西の文化を楽しみたい.今のビジネスパーソンの趣味も,学校に通う少年少女たちの夢も,老後を送るたくさんの人たちの目標も,押し並べて,お金や物ではなく,心の豊かさに重きが置かれている.日本の落ち魄れとは,日本人が望むような国になるというだけである.
