MacOSをSonomaに更新し,汲み置きした水道水で一服しながら,背景映像をぼうっとみている.起伏に曲線的美しさのある山の尾根に,畑が広がっている.曲線によって畑のラインも曲げられて,物理学徒なら鞍点法で安定点を計算したくなるような形を成している.映像の視点が少し進むと,数軒の住宅群とゴルフ場のようなバンカーや大きめの池が置かれ,両脇に森林が茂っている.遠目には靄がかかり,深い森が広がっている.
この景観は人工の映像だろうか.作るのは今の時代簡単だろう.しかし,これを仮に実在の航空撮影した映像だと考えてみる.耕地では何が栽培され,作物はどこに輸送されているのだろう.ドローンらしきものが映り込んでいるから,それで肥料をやっているのだろう.数軒の住宅の主が畑の所有者だろう.朝日というよりは夕日の色に染まっているから,時間は夕刻に近いだろう.電信柱も1本あるから電気や通信も来ている地域だ.
私の生活が,同時代の世界から見て決して普通ではないことに思い至る.毎日耕作して暮らしている人だって,世界人口の数十%はいるだろうから.今この書斎でベートーベンの弦楽四重奏曲をかけて在宅勤務の休憩時間にiPadで日記を書き綴っている私は,世界の中で一般的に暮らしてはいない.私の仕事よりハードに働いている人は世界に数十%はいるだろう.何もせずこの昼下がりをのんびりと暮らしている人もいるだろう.
世界は不均衡と不平等に囲まれている.皆が同じではない.皆が同じ生活を求めてもいない.それぞれ守りたい習慣がある.それで均衡が奇跡的に取れているようでいて,いつ崩れるかもしれない均衡が魔法のように保たれている.この80億人以上の暮らしがどこかで破綻しどこかで平穏を維持し,ある地域では争いが起こり,ある地区では祈り,ある国では呑気に遊び,ある大陸では地震や寒気に襲われる.それがこの世界,この地球だ.
