空想的なもののほうが長くとどまる.この空想の効能を説いたのは20世紀のドイツやフランスの文学者たちだ.19世紀には,空想を技術に結びつけようとすることを幼いと評し,悪趣味な空想を芸術の敵であると断じたこの文壇だったが,20世紀になると戦争のために悪趣味な空想がどうしようもないくらいに蔓延したため,冒頭のことばが生まれた.空想的なもののほうが長くとどまってしまうので,想像の敵である,と.21世紀になると,閑暇と情報技術が融合し,空想を表現する技術を持つ人が増えた.妄想と断ったうえで多くのことばが生まれた.
数学や物理学でさえ妄想から着想を得たという学者も多くいる.思うに空想も幾何学が入れば空想ではなくなる.幾何学的想像になる.記号が入れば記号論的想像と呼べる.空想と想像の境界はあまりなく,理系の図像的想像を知らなかった文学者が作った妄想にすぎないかもしれない.
空想的・幾何学的・図像的な作品を作り出す作家が好きだ.実際にはありえない構造の建築を描く野又穫,理系のほら話作家の円城塔,アマチュアの数学者による物理学サイト.現実には存在しないところに新しい感覚を覚えられるところが好きだ.ほら話や迷信を生活から切り捨てたくないと思う節があり,事実は現実に起きていることというよりも現実に起こりうることであると,常々思っている.それを表せる複素確率論の定式化を行ったほどである.事実は起きているのではなく起こすものだと.
空想を現実に起こそうとすると,どんどん現実の事実を認識する力が弱まる気がする.その辺りに迷宮があるのだろう.それでも空想から生まれたさまざまなものは,しばしば夢や希望に結びついて力を発揮する.空想は現実に事実をもたらす力を与える.無から生まれるもの,それは常に空想の達人による産物である.
