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a deck for makers but poor

独創的な設計とは

2017/7/25 by IKIX_temp

 美術学校のとき痛いほど教えられたにもかかわらず仕事でしばしば忘れてしまうこと.それがオンリーワンとオンリーミーの違いである.建築を学ぶためのアトリエで,立体や水彩を習っていた.どの先生もたいへん優れた方だった.ケント紙や木材やラシャ紙などの材料を,設計図を引いて組み立てるという課題に毎週取り組んでいた,高校3年のときだ.それから7年間,大学で情報環境や知識表現や化学物質の設計を学んだのだが,自分の設計を最善のものとすると,それが最善だと思ってしまう.
 自分よりも良い設計を出す人がいたとき,チームのメンバーなら良い要素を取り込んで再設計すればいい.それは得意とするところだ.どこかの誰かが作ったものだって,参考にして構成や部品を取り入れたりすることも,行っている.これも得意だ.その,多くの設計をみて,チームで考えうる最善の設計として開発が始まるので,一度開発が始まると,最善の設計として進行していく.他社の成果物をみる機会があるとき,ほぼ必ず,自分たちより良い設計が現れる.そのときになって初めて,「最善の」設計ではなかったことに気づくことになる.
 いつも設計するときは講評の時間を頻繁に割いてもらい,改善点を出し上げてもらう.最善を尽くし,尽くしてもらうのである.そこに話し合う意義がある.ひとりで最善のものができることはないし,ひとりで最善のものを作れるようになる必要はないのかもしれない.そのはずなのに,技術を高めようとする動機はひとりで良いものを作ろうとすることだけで,ひとりの限界まで高めようとしている自分に気づく.それは自分がいいと思っているだけで,誰もがいいと思うものとは違う.しかし,少なくとも自分がいいと思う設計を出す人が必ずいるし,自分の設計も少しはそうなのかもしれない.
 自分独自のものを考え出そうとするとき,嫌になるほどそういう時期が長かったが,新しいものを考えようとすると,誰もが知っているありふれているようなものにしばしば帰着する.誰もがそうだと思うが聞いたことがないくらいはっきりとした表現.この誰もがそうだと思う人数が多いほど,普及する設計,良い設計なのだと思う.誰もが求めていた設計.それは新しいだけの設計ではないだろう.新しいものをどのような要素で変形して,どこへでも行き渡るものにしていくか.この感覚を覚えておきたいのだ.

カテゴリー: Others タグ: 20th century, Town, デザイン
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