私には言語の障害がある.話すことが満足にできない.いつも会話では聴いてばかりで,話す内容は小学生のほうが豊かだ.複雑で難しい話をした経験がない.いつも簡単な語彙を長くても5語くらい繋げた文を喋るくらいの会話しかできない.特に上司との会話は,上司が9割5分語り,私が相槌を含め数文喋る,という感じだ.いつも思うように語ることができず,もし自由に話せたらもっと毎日は楽しめるのになと思うことが多い.
言語を自由に操りたい,という欲求は,部録などに書くことで満足している.メールやチャットを使えば,思うことを伝えられる.口では何も満足に伝えられないのに,文字にすると複雑な考えも表現できる.幸い私は漢字学習を最高峰まで修行した人間だ,どんな本でも読めるし,それなりに深く理解できるし,思考の材料にして考えを進められる.私の言語によるアウトプット生活は,9割以上が文字による.話すことができない.
話せたらもっと楽しいだろうに,という思いは,今まで叶ったことがない.いつも無能を呪うか,言ったとしても言って後悔するか,つまり口に出すとほぼ必ず感情が動く.大抵は負の感情だ.なのでますます喋りたくなくなる.言葉の害,口害を私は犯しすぎる.もしどんな人も言葉を口が語らなかったら,私は苦しまずに済むのに,と妄想することもよくある.つまり,私は皆が喋るくらいに面白く喋りたいと思うくらいなのだ.
言語の障害は,回復しない.というか生まれつきあまり話さない子供だったので,私の特性であると諦めるしかなさそう.語りを聴くことは好きである.言語に対してほとんど受動的なのである.それが私の性格を形成しているように見えるが,私の中には積極的に歩いたり健康に気をつけたり書いたり調べたり考えて作り出す面もある.私の言語観は特殊だ.言語との関わり方は変わっている.そうならざるを得ないだけであるが.
