私は満足した,そう繰り返し述べてきたが,次の段階にやってきたとも言える.それは,社会や私より若い世代のために何かすることを考えるという段階だ.私の分はもう満足した.これは確かで,これ以上欲を追求しては人間が駄目になる.なので,私以外の人たち,特に経験も社会認識もまだ薄いような人たちの将来を考える,そういう局面に入っている.そうでなければ,私はこれから何のために生きたらいいというのか.
何かできることを探しもするが,そう性急に即席でできることに飛びついても,それが本当に若い人の将来のためになるかといえばそれはわからない.何か自分でも考えてみたいと思う.特に,若い人のことをよく知らなければならないし,若い人たちの現象に関する文献に当たり,街を歩いて風に当たらなくてはならない.若い人たちのために行動すればそれはすなわちこの地域ないし国や世界の将来のために行動することになる.
私が満足できたのは,信仰を持ち教会という場所に繋がれたことが大きい.何か毎週定期的に行く居場所があることが,心身の安定に作用したし,年長の人たちの話を聞いて姿を見ることで,自分の将来に対する不安が消えたことも大きい.その線では,若い人にも年長の団体に加わるように働きかけるとの案になるが,それでは効果が薄そう.若い人はオンラインでコミュニティを作っているそうだが,実情にはあまり詳しくない.
寛容になり,余裕を持てることが大事だと思うが,人生には正解がない.だから唯一の答えに辿り着けるよう導くことではない.どのような働きかけが重要なのか.今の私には皆目見当がつかない.若い人の将来のため,とはいえ,私のような未来が待っていると言っても希望を持ってはくれないだろうし,私も自分の暮らしが希望に眩しいとは思えない.それでも,若い人に対し壁を作らず,オープンでいられる工夫をまずしたい.
