私は服が好きだと思っているんだけども,なぜ服のどこが好きなのかと自問すると,答えがないように思えた.それでは服を追究した川久保氏や三宅氏に失礼になると思い,改めて考えて自覚しようと思う.私が服に興味を持ったのは美術学校生の時,17歳の頃だ.芸大生の講師陣がそれは毎回お洒落で輝いて見えた.そんな服を渋谷で探すのが成人するまでの私の楽しみになっていた.2万円するトラウザーが購入した最高額だった.
しかし,いわゆるトレンドには関心がなく,大学に入って平均的な服装でも流行でもない,外れた感覚になっていて,大学全体からも浮いていたと思う.実家近くの大学院に移ってから,UNIQLOやグローバルワークで服を買うようになり,一般的な服装というものを少しずつ知るようになった.それを着るようになるのは30代を過ぎてからだ.今では好きな服を着たい時に着て街を歩いたりもしていて,服には満足しきっている.
通勤でよく見かけるのは黒い服だ.特に冬が近づいた今は,電車に乗っていると8割くらいの乗客が黒いアウターを着ていて驚かされる.皆同じに見える.よく見ると安い素材の服が半分,本当は良質なブランドのものが半分といったくらいか.中には擦り切れたスポーツリュックや合皮がばれた革鞄を持つ人もいて,お金がないのか,お金を貯めているのか,家族のために自分はお金を使っていないのか,その姿から想像させられる.
私は気に入っている外套に昨冬新調したマフラーにUNIQLOの手袋をつけて乗車していたが,なんだか居心地が悪くなった.私だけいいものを着ているように感じられた.ここから私は見栄のために服が好きなのではないとはっきりした.好きな服を好きな時に着て出かけるのが好きなのだ.それでなぜ好きなのか,あまり理由を持ち合わせていないことも分かった.好きなものは好きなのである.深い意味はない.服が好きなだけだ.
