満たされている感覚を容易に忘れてしまうのだが,作品が年月に耐えず忘れられてしまうのと同じで,現代人全体の傾向であると思う.気をつければ,満たされている感覚は思い起こすなり思うことにすれば,容易に感じられる.持っていなくても,人権や自由や飽食や娯楽や治安の良さなど,現代が過去のどの時代より恵まれていることは容易に想像がつくので,今が恵まれて生活できていることに感謝することが,いつでもできる.
それでも,この満足と感謝は意識の隅や裡に容易に追いやることができ,渇望と不満に変換できてしまう.自分の思うように生きているのが普通だと思うようになるのだ.普通であると満足や感謝を掘り起こせない.いかに恵まれて生きているか忘れることは,人間としての損失であるが,その損失の大きさに無自覚になりがちだ.経済的な損失につながらないように見えるからだ.浪費の源泉であるのに,それが肯定されているからだ.
恵みは神様からのものである.過去の偉人や無名の賢者らの尽力のおかげでもある.今を働いている大勢の労働者の勤労の上に成り立ってもいる.それらの基礎が揺らいでいるこの国で,それを維持するだけでも相当の努力がいるのに,何もすることができないと感じる.買うことでしか,貢献できない感じがする.それで,浪費を稼動するために,恵まれていることをさらに追求しようと思わなくてはならなくなる.これは考えものだ.
身の丈を超えた暮らしは幸せではないとつくづく思う.高級品を身に纏っても,周りが見窄らしいと浮いて居心地が悪くなるし,高級な場に行きたくもない.ならば高級品など持つ必要がない.持ちやすい価格の安さという概念があると思う.服なら5千円周辺,雑貨なら3千円まで.罪悪感もなく好きで持っていられる.つまり,満たされている状態を保つためには,心地よく持っていられる物を持つべきなのだ.このことを発見した.
