心地よさは幸福感に直結する感覚なので,大事にしたいと思うが,なかなか維持することができない.そもそも増進させるためには心地の悪さを取り除く必要があり,心地よさを追求しようと思ったら,この排除を徹底することになる.それで,自分の心地よさとは,あるいは自分が心地よいと感じる環境とはなんなのかと考え定義する必要が生まれる.私が心地よいと感じる条件は移り変わるとしても,今の私はどうなのかという問いだ.
それで考えてみた.まず,見た目が整っていること.醜くなく,混雑していないことだ.また,持ち物や使い方が合理的で納得できていること.理由が自分で考えたもので,存在を把握していること.そして,価格が飛び抜けて高価でなく,すぐに壊れるような低い品質ではないこと.大体このあたりを満たしていれば,持ち物として安心し,違和感なく使え,長く持てる.しかも買い替えようと思わず,これ以上を欲しいとも思わない.
持ちすぎているという思いは時々湧くことがある.特に,本を持ちすぎているなと思う.データはいくら持っていても気にならないのだけど,本は表紙の文字や色が主張してくるので,みていて疲れることがあるし,読まなくてはならない圧力を感じる.この圧は時間を有効に使えという意味になるので,一定の良い効果はあるが,もしここに本がなければ,もっと安らいだ自由な時間が流れるのかもしれないと考えることがよくある.
いっそのこと,机の上に散らばる本たちを移動して隠してしまおうとも思う.読む時に取り出して1冊ずつ大事に読み込むような読み方に変えてみようと思う.本との付き合い方,本の持ち方は,私の心地よさにとって最後の砦だ.今まで放置しすぎてきた.本は多いほど良いとしか考えてこなかった.早速これから,目に入る本の量を減らしてみようと思う.それで生活のリズムが変わって心地よくなれば,それを記憶し指針にしたい.
