考えて生きる人ほど容易に自分を変えることができるというけど,なぜ自分を変えるのだろう.自分を変えてくれた物や考え方に,どうしてここまで高い価値を払うのだろう.なぜ日頃,見聞を集めておき,変わるために準備するのだろう.身軽に動けるためだろう.自由に考えられるためだろう.つまり,何も準備せずに生きていると,何かに囚われ,動けなくなる出来事や言葉に遭遇するのだ.それに対処し回避するために変わるのだ.
人間も動物なので,動く生き物だ.でも,人間は動けなくなることがある.疲れている場合もあるが,精神がとどまるように促すときもある.それはもう動くなという身体からの指令である場合が多いが,何か退屈し気だるい時間にも,人は動かなくなる.サボることは次の行動を準備する重要な時間だと思うが,不安や恐怖など動けなくなる感情は,長く続くことがあるので,できることならできるだけ回避したいように思う.
と考えてくると,自分を変えることは,次に動くための準備なのである.そうすれば,生命としての本態である動くことを,いつも思いのまま実現できる.動くための準備として,自分のほうを変えてしまうのである.そうすれば,思うように動けるという喜びを常に享受できる.もちろん,倫理に反する行動や法律を破るとなれば,罰によって次の行動が制限されて然るべきなので,モラルやルールを学習する必要はあるけれど.
生命は動くから生命なのである.その動きを滞らせるものは,できるだけ避けて生きたい.自分を変えることは,それを回避する知恵を常に更新して持ち続けるために行われる.自分を変えるための飽くなき探求は,自分を最も自由にする習慣である.自分が変わることは,自分を動かすことでもあるから,自分を生きることであると言える.自分を動かせるから,自分は生きている.自分を変えていけることが,生きるということだ.
