掃除に目覚めた.ウタマロとスコッチブライドで長年のトイレの汚れを落とせたことに始まり,食洗機の内部,コップの茶渋,洗濯乾燥機の脇や汚泥とり,さらに薄く錆びていたキッチンシンクを磨き上げた.すごい達成感だった.概念的な理解を超えて,何か生きている実感や喜びか可能性に触れた経験だった.普通の人が掃除して得られる体験より深い意味があった.つまり生涯続ける活動になるだろうという確信が伴っていた.
衛生に関して,意識が薄く生きてきた.毎日食べる果物も俎で切っていなかった.包丁もシンクも薄く茶色くなっていっても気にしなかった.食洗機も内部まで汚れを落とそうと思いもしなかった.汚れることは生きている証であり人間的なことだと思っていた.しかし,元のとおりに綺麗にすることは,きよめや禊のように,神的なことである.汚れが人間的で,きよめが神的.ならば,神的な行為を喜んでしたいしそうするべきだ.
今年の大掃除は気持ちが強く入る.ウタマロで代えることで,窓用や浴用やトイレ用の洗剤は使わなくてよくなる,という洗剤整理の快感もある.教会の大掃除もウタマロを持参し,食堂のテーブルクロスの染みをひとつ残らず消し綺麗にしたい.ついでにテープでつないでいるところを両面テープで綺麗に貼り替えたい.もし2階のカーテンが古く買い替えが必要なら,IKEAで見繕って1万数千円の予算で遮光性のあるレースにしたい.
掃除を通して,生活への関心が具体的になってきた.生活を抽象的に考えすぎていた.これからは掃除が趣味の如く,ウタマロと共に気づいたら綺麗にする人になっていると思う.そして,10代の頃に学校で掃除のことで褒められ,清掃員になりたいと願っていたように,定年後の職業を清掃のアルバイトに定めるべく,今から技術と関心を高め習慣にしておくのだ.そうすれば,好きなことで働いて生涯を終える人生になるのだから.
