散歩していてふと,資産を守るという概念が浮かんだ.資産の量は関係なく,歳を重ねれば自分で確立してきた生活を守り通したいという思いが生まれてしまうのではないかと.中年に築いてきた生活は,老年になっても維持することを,中年の盛りには考えがちだ.資産も生活も交際関係も,今のままがいい.できれば増やして向上させたいという願いを密かに抱きながらも,守るという思いで生きていかなければならないのではと.
できればオープンでいたい.クローズにして守っても広がりがないし,チャンスもやってこないからだ.でも,そんなことができるのは,中年時代にしっかり考えて思想や信仰を持って営々と築いてきた人ばかりであり,その多くは人格者だろう.と普通は考えるだろう.だから,私がそんな人の1人になりたいと願うことは,優れた人物になりたいとの思いと似て,努力や変革を伴った中年を生きることを求められるのだろう.
妻は私の倍稼いでいるが,私より約しい生活を送っているように私には見える.妻がどのくらい資産を作っているのか,わが家では財布を分けているので私は知らない.妻も私がどのくらい消費して暮らしているか興味がなく知らない.その自由は素晴らしく助かっている.結婚してもお金は自分の裁量で自由に使いたいものである.そんなことなので,資産を守るのは私自身しかいない.計画を立ててそれに従っていくのも私個人だ.
会社の人の暮らし向きがさほど良くないように見えるのは,会社の性質かもしれないし,社会の情況によるものかもしれない.あるいは,世間的には良い方で,私の目の感覚が高飛車すぎている恐れもある.これから今のこの暮らしのどこかを削っていかなくてはならなくなるかもしれない.お金を使わなくても価値が下がって使わないことが損になるかもしれない.お金ってつくづく難しいと思うので,経済を勉強しようと思っている.
