生活には,楽しめない苦しみがある.例えば,香り.今年,初めて香水を使ってみた.小さな噴射器に入った香りを2万円くらい買った.毎日使っていた.でも,あるときふと振り返ってみると,毎日使っているのにどんな香りだか覚えていない.それどころか,私は匂いを記憶できないことが判明した.ハーゲンダッツのバニラビーンズ,冬の蜜柑,お寺の線香.言葉ではそれが香りだとわかるのだが,肝心のどんな匂いかがわからない.
私は成人するまでアレルギーの鼻炎で,匂いの経験が乏しい子供時代だった.その原因がパンと牛乳だったことが30代後半で判明し,ようやくこの世界に匂いという次元があることを知って感動した.しかし,その匂い自体を記憶できなくて,いい香りも悪い臭いも,その場では色々に感じるも,その後では何も覚えていない.よくお店や街角の香りの記憶は一生続くというおしゃれな人がいるけど,私はそんな風に香りを楽しめない.
私は実は,香り以外にも,顔や食事や過去の出来事に関しても,記憶がないかものすごく弱い.ほぼ何も思い出せない.身近であるはずの家族の顔,妻の顔や実家の親族の顔,先生や上司の顔さえ,思い出せない.これは普通だと思って生きてきたが,どうやら違うらしい.さっき食事で何を食べたかも思い出せない.数時間前に自分が何をしていたかも覚えていない.もし覚えているものなら,生活が私と大きく違っていると予想する.
よくモノより思い出だという.でも,私は思い出を持てない.記憶できないか,思い出す機能が欠損しているのか,よくわからないけど,覚えていないのだ.だから,私は思い出にお金をかけても,どうせ無駄だと分かっている.モノも壊れて捨てれば忘れてしまう.何にお金をかければ幸せかという答えを,私はまだ持っていない.例えば,外を散歩して木々の葉や空の雲に見惚れている時間が幸せで,お金で幸せを買えたことがない.
