価値観というものを,よくないものと考えていた.これさえ価値観なのだということも知らないままに.私は自分の価値観に従ってものを見て考えて感じていたのに,酷く無自覚だった.人は知識を正当化するためだけにしか使えない,知的行為も究極はつまらないものだ,と捉える価値観を持っていて,これは一般的な価値観ではないだろう.知らないままに私は自分の価値観を独自にはっきり持って生きている人間だったとわかった.
それで,自分の価値観をもっと柔軟にしようと思うようになった.いろんな価値観を知って自分を相対化し,つまり相手を知って人を知って,聖書やクルアーンも知って,自分の価値観を耕そうと思うようになった.自分の価値観が自分を苦しめて,自分を自分に閉じ込めている面があると気づいて,自分の価値観を人に表明しなくてもいいけど自覚はして,あぁこの人は自分とは異なる価値観で生きているなあと感じるようにしたい.
注意したいのは,私はその人の価値観を取り入れて同じような価値観をインストールして生きなくていいということ.むしろ価値観をインストールすることは余程のことがなければしなくていい稀なことでいい.自分とは異なる,自分にはない,自分からは生まれたことも考えたこともない価値観に出会ったとき,私はどうすればいいか,まだあまりアイデアがないけど,取り入れたり従わなくていいことだけは強く確かだと思いたい.
価値観は私の土台なのだ.それを揺すぶられるとは人生の根本が変わることを意味する.私はもう何度も変えさせられてきた.哲学や本の言葉や聖書とイエスキリストや出会った人たちに.もうこれ以上変わる必要がないと考えている.これからは自分が変わることではなく,今はまだわからないが,別の価値観で人生を楽しむことができればと思う.学ぶことに関する価値観,変化に関する価値観を,もっと柔らかくしたいのだと思う.
