欲しい物を買っているという実感はあまりない.私がこれが欲しいから買っているのではなく,いい物だと勧められて自分でもいい気がするので買うことにしている.それが買い物の実態だ.私は自分で物のこだわりがなく,何を買ったらいいかわからない人であり続けている.子供の頃からずっとそうだったので,これからもそうだろう.どうせ買うならいいものを持ちたいと思うので,YouTubeなどでおすすめを見聞きしている.
勧められ,自分で使っている絵が見えたら,買うことに決めている.その程度の動機,その程度の思考で,私はお金を払うことにしている.お金とはその程度のものだとも思っている.お金も物も,天国へ持っていけない.大した価値はないし絶対的なものでもない.その程度の物だと心底思えているからこそ,私は買い物は自分で決めず,誰かのおすすめを見聞きしてその通りの物を買いに行き,一応は見てから,そのものを買う.
おかげで,生活は良くなった.満足しているし,何も困らない.いいものに囲まれた書斎になった.その中で何か自分の好きな本や音楽なりに親しんでいる時,買い物に時間を使いたくないなあといつも思う.できればいいものをさくっと勧められ,その通りに買ってくるだけのものに収めたい.買い物がそれほど意味のある行為だと思えない.自分のこれが欲しいという思いもいいものだとは思っていない.資本主義への迎合だから.
資本主義では,お金と物サービスの交換で万人が豊かになると謳うので,お金が持つ力を絶対視しやすい.簡単にそう思うことができる.でも,物もそれを欲する気持ちも,実は大した実体がないもので,虚しいことだと悟れれば,この社会をどれだけ楽に過ごせることか.欲しい物を買っても欲しい物は次々現れるのだろう.お金は減るだけだろう.この資本主義のルールで不自由になるくらいなら,物と欲を軽蔑して生きたいものだ.
