昔,文学に期待していたことは,とても個人的で身勝手な関心を寄せていただけで,その関心も趣味の域を出ないものだった.閉じられた文学趣味である.しかし,このところ社会問題を調べ,論説をYouTubeで聴いているうち,関心が社会的なものに変わってきて,社会問題と固く結びついた関心を持てるようになった.例えば,家族を描いた文学を,昔は寓話としてしか読めなかったが,介護福祉の視点も入れて読むようになった.
文学世界そのものには,書かれた背景ないし理由が必ずある.単なる大衆向けの虚構には私は関心が持てない.そうではなく,文学特に純文学には関心があり,時代や歴史を背負っていたり,社会の未来を描いていたりすると,読みたい気持ちが昂る.私の生きている時代を読み解けるストーリーを,おそらく私は求めていて,私が持てるストーリーとは異なる話者による語りを通して,私の現状認識を相対化したいのだと思う.
文学にもジャンルはあるし,求める人も色々あるし,文学に何を求め,何を書いて世に出すかという需給のレイヤーにも色々と何層もある.そのうちの1層しか,私はまだ関心を持てていないが,それだけでも広大な世界に見える.欧米の古典のほか,現代の海外の書き手の作品も本棚に並んでおり,そうしている人は日本には少ないかもしれないが,この方向で作品を集め,少しずつ時間を作って,隠れている世界を繙いていきたい.
作者の意図を正確に汲み取ることなんてできない.私がその物語から受け取ったものが私にとっての真理である.その真理の世界を,私はもっと耕したい.それが私の今持っている関心の核である.私の世界を広げたいのだ.他のストーリーを聴くことによって.ただひたすら聴くことができるのは恵まれたことだ.話をするには私も話さなくてはならないし,相槌も必要になる.でも,本であればただ私のペースで読み進められるのだ.
