ある投資本に,使う目的なく貯めるのは悪ではない,とあった.むしろ,資産を大きく形成した人は,大抵使い道がないままだったから形成できたとのこと.貯めるではなく,貯まるという感覚.それはそうだと思いながら,どうやら私も貯まる時期に入った,分岐点を越えたと思う.買い物に飽き,必要な物は買ってしまった上,それらが長持ちするので買い足す必要がない,この完成した状態は,貯まるスタートに立ったことになる.
私はお金を多く持ちたくないといつも思っている.1億円あってもどうすればいいかわからないと考えてきた.しかし,今改めて1億円という大きさを考えてみると,別に大した持ち物でもないし,資産が1億円になったとて大した出来事ではないな,と正直そう感じる.お金なんて別に一番大事にしたい物じゃない.単なる使いきれない道具を持ったとて,不自由はしないにしても幸せでいられるとも限らない.良くも悪くも使い方次第.
そこで私は,1億円作ってみようと思えるようになった.今は300万円もない総資産だが,まだ30年は収入を得られるし,株式相場も上下浮揚するだろう.つまり,お金を使いたいとかお金持ちになりたいという思いのないまま,その思いを軽蔑したまま,せっかく貯まるなら専心集中して貯めてやりたいと思うのだ.やるには意味があったほうがいいからだ.そして,その意味も欲とは無縁の単なる数字であるほうがドライでいられる.
お金に対する姿勢が中途半端だと,働く意味も貯める意味も有耶無耶になってしまう.私はきっぱりはっきりさせたい.資産1億円を形成しようと.将来のためでもない.自分が使うためでもない.ただ数字の達成を味わうそれだけのために,1億円まで増やそう.本当にどうでもいい遊びだ.でも,人生に飽きてしまうことを防げる気がする.何か目標を持っていたい.周りに迷惑のかからない好ましいものなら,誰も否定しまい.
