お昼に同僚十人と肉食した。女性九人は幾重ものハンバーグを平らげたのだが、私はチキンカレーさえ残してしまった。これには内省が促された。なぜなら、満足したのであったから。九人とも初対面であり、皆美女であったことも影響したかも知れないが、満足して食べ切れなかった理由を探ってしまった。
私は、多人数で外食するのが苦手だと思っていて、妻と二人も拒んでいる。学校給食がせいぜいで、部活やサークルで行くのが苦手だ。分析すると、私は食事は無言で始めて終えるのだが、同席している会食者はなんらか喋り語るので、同様に振る舞わなくてはならないと気をつけてしまう。話を聞かなくてはならないと考えてしまう。私はそもそも食事行為が好きでもなく、早く終えたい行為の一つである。話を聞いていると早く終えられず、だが話を聞くのは無上に好きなので、そのうち食事も満腹になってしまう。食べ切ることができない。食事は集中が必要な行為だと思うが、複数人で食事すると分散してしまう。なんのための食事の場にいるかわからなくなる。
もう一つあるのは、昨年末からの数学の問題解決の達成以降、人生の目標が達成された感覚が心身を満たしきって生きているので、何をするにも何かを得たり買わなくても、何をしても満足しやすくなっていることがある。こういう人は僅少だろうから、他人に容易に当てはまるものでない。風を頬で感じたり、雲の行方を眺めたり、葉の動きにユーモアを感じたりするだけで、満たされてしまう。これは若干問題がある。支出が少なすぎる。欲が湧かず、少食にもなってしまう。だが、生きている実感は、欲を満たそうとしていた時期の何倍も深く確実なのである。食事を楽しもうとわざわざ思わなくても、完食しなくても、心から満足してしまうのである。
今日の反省として、一日中笑みが深かったような気がする。満足感のほか、敵意からの作り笑顔の可能性、美女に弱い、女性に従う性質、などが考え浮かぶ。私はそれだけの人間だが、もう少し貞操観念で働かないと、美女しかいない職場ででれついてしまう。これではいけないと反省している。
