私はさいわい,会えてよかったとよく言われる人物である.そう言ってくださる周りの方々が温かい方ばかりで,恵まれているからかもしれない.それはそうであると,半分以上は思っている.それで,なぜ私は出会えてよかったと言われる人になったのか考えてみて,自分の魅力がわからないが,考え至ることにはやはり略歴がユニークだからだろうかと思った.身近に前例があると人生の選択肢の幅が広がるということだし,この部録にとっつかれた方の人生のために,自分の私的情報を限界まで紹介したい.
思い出せば最初に発した言葉は「で」だったそうだ.電気の「で」である.光が好きだったらしい.すぐに文字が好きになり,特に難しい文字を写すことを好んだ.複雑なものも単純な部品からなることをそのときは理解しておらず,複雑なものはそのまま写すことで理解を得る,という方法論を持った.物理を絵を描くように展開する発想はこの時の根っからのものだ.
小学生の時はよく遊び,よく遊ばせる子供だった.自宅にある玩具目当てで友人が雪崩込む毎日のなか,集まる友人の目的は自分ではなく玩具であると早くから知ったので,パズルやクイズやゲームを自作して学校で遊ばせ,帰宅しては次々来る友人を遊ばせた.自分は管理者の立場なら今すぐ仕事できるのでは,どうすればそうなれるかとよく考えたものだった.
中学生の時に症状がくっきりしてきた.自分は毎日規則正しく部活し,勉強し,帰宅し,学級活動もし,学習計画記録も毎日つけて提出し,たぶん非の打ちどころのない生徒にみえたと思われる.しかし,後で考えてみれば,坦々とした毎日でないと安定できない,自分を律するにも脆い,他に多様な経験をするとすぐに壊れてしまう,細い精神しか持てなかった3年間だった.
県内最難関の高校に余裕で入学してから数日経ったとき,この高校には1年間在学すれば充分だと思ったものだ.卒業しないのだから自由にやってみようと,3年間をとても有意義に過ごせた.ほんとうに満足のいく3年間だった.優秀な同朋や先輩方と話した内容,掛け持ちした部活,自転車で駆けた市内,日没まで観賞した港,書けば限がない.現在がこれほど豊富なのはこの3年間があったからだ.
美術予備校で1年間葛藤し,大手予備校で特待生待遇され,国立大学で美的実存を生きたことも,いくらでもいいものが引き出せるくらいの経験である.そのあと実家の近所の大学で院生生活を送れたことで,初めて両親や学友や教授陣に感謝の気持ちを出せた.社会人になって障がいが認定され,転職がうまくいかない理由まで分析したとき,安月給だがちょうどいいところに就職することができた.なにより妻との出会いがあり,神との出会いがあり,信仰と信徒との生活に様変わりし,Web開発と家事を実行するうち不眠も精神症状も治ってしまい,今に至る.
さまざまな場所でさまざまな人に会い,考え,やってきた.我ながら面白い人生だったと思う.今後の人生は妻と神と仕事が中心になるだろうが,どのような未来になるかはわかっていない.しかし,そのほうがきっと面白いし,多少有名になってしまうかもしれないが,出会えてよかったと言ってくれる人が現れるのかと思うとむふとうれしくなってたまらない.なるほど最高の人生は神さまの思うつぼである.
