数学の研究をしていて思うことに,数学には発明も発見もあるが,発明は基礎となる発見に依存し,基礎の発見は自然に依存するのではということだ.リーマン幾何学はユークリッド幾何学の公理の矛盾を突いた発明的な構造物であるが,地球を物理的に見たときに誰でも発見できるようなものだった.発明は人間がつくり出したもの,発見は人間が見つけたものだとすれば,数学の素材は自然である.人工物の象徴のような計算機の原理も,DNAとその複製酵素の構造に同じである.人間は自然にあるものしか想像できないのだろうか.
このように考えていくと,自然にはないものを人間はどこまで構成できるかが,数学の挑戦である.全く人工的なものがあるとして,そこに公理群があるとして,その代数系が自然のどこにもないものを指すとする.その数学は数学であるがゆえに非常に有用で,人工的な数学体系を次々と構築していく.計算機に式を入れていくが,計算できない部分が出てきて,新しくモジュールを組む.しかし基本的な演算をコーディングするだけで特殊な数学を多用するため,精確に計算するには特殊な計算機を考案する必要がある.と,このような話になっていくような数学である.
log(-1)の数理は現在のところ豊穣な人工的空間を形成することがわかっている.この数学はもともと自然に埋まっていたものだ.つまりlog(-1)は発明したものでなく,再発見したものにすぎない.位数部や位数軸は発明したものといえるが,自然のどこかに埋もれている構造なのかもしれない.というのも位数系はエネルギー計算やスピンの軌跡を計算することに用いられるので,自然の面積的な見方として新しく,もとはといえば自然に隠れていたものなのだろう.
ポリゴングラフも発明だが,もとの概念であるオイラーのグラフが情報をふんだんに埋蔵していたからこそ,有用な数学装置として広まりつつある.ポリゴングラフの発明が画期的だったわけではなく,グラフという数学モデルが画期的に有用なのである.そのモデルも,ある街に架かった橋の通過を問題とした時のモデルだった.数学者はなんでも数学で計算できると考える,ふだんは視野の狭い人間である.しかし,その視野は想像力がふんだんである証である.人間の挑戦の先端にいる数学者に,見えないものなどない.考えうることは想像できるが,考え得ないことを想像して考えうるものに変える.それが数学者の仕事である.
