物理に関心がない人には理解しにくいかもしれないが,静止することは特に難しい,いや,不可能なことである.よくじっとしていなさいと云われておとなしくなる子は将来困ると云われるくらい,人間は特にじっとしていられない.植物はじっとしているようにみえるが,栄養や水分を光で重力に逆らって行き渡らせるためにわざとじっとしていて,内部では絶えず流れがある.そこらに転がる小石も,結晶としてはじっとしているが,導電性のあるものなら自由電子が,電気を通さないものでも地球に絶えず引っ張られ,大元の地球が衛星や太陽や惑星らと重力関係にあるので,静止しているものはほんとうはどこにもない.
そこで,多動を開き直る戦略が生まれてくる.多動を肯定するのである.生産性が高い人は多動と区別がつくのか,つかないだろう.やりたいことが次から次へとわいて出てきて,それぞれを遂行する能力がついてくる人を,社会は手放すはずがない.現代は開発の速度を嘆く思いと賞賛する気持ちとが同居するような時代だが,開発の速度が上がった先に,近代の完成をみる人は,まだ少数派だが,多動を賞賛するだろう.
近代は完成するので超克される.物理学の完成と科学の統一による発明開発の万能化.この方法論に携わる若手による達成の報告が相次いでいる.ここでは近代の主な特徴を科学の成立とするが,どうやらセンス・オブ・ワンダーを持てる人生は近代が発明したもっとも持続する幸福である.完成してしまったらセンス・オブ・ワンダーを持ち得なくなるのではないかと心配する科学者もいるくらい,近代の完成が近づいている.あと1世紀もすれば現代は近代を超克できるのだ.
近代を超克した世界とはどのような時代だろうか.完成を疑うような知性が登場し,新しい概念とともに人類の発達を促進する哲学を構成するのだろうか.たぶんそうだろう.そのとき初めて近代は超克され,現代が始まる.どのような時代か想像はつかない.けれども,人間は静止していられないのだから,活動に終焉はないのだ.工事,工作,耕作.そういった技術で生計を立てる人ばかりになり,人口が急減しても飢えを凌ぎ,存続していくのだろうか.ともかくこの1世紀は近代の完成をめぐって大変な創造の時代となる.終わる頃にはお金がただの金属や印刷物と見做されているだろう.
