風呂に入っていると半分眠っているのだが,出浴時はいつもこの思考で終わる.自分がしたいことは何なのか,だ.さすがに漢字の勉強はしたくない.図形を思い浮かべても面白くない.計算もさほどすぐにしたいわけではない.いったい自分がしたいことは何なのか.そしていつも思うのは,自分の職場,そこでの仕事内容,妻,週末の過ごし方,資産,そのほか今の人生を取り巻くあらゆる物事が,自分の願っていた調度良いものであると気づく.
何ら不満がないのである.32歳にして葛藤も欠乏感もないことは不自然かもしれない.27歳で物理学を極められる概念を発明してから5年間,数学と物理学を開発してきた.それが実にうまく行き,とても満足した.その結果,実際の人生がどのように落ちても,いつも誇らしい気持ちを持てる.学芸技能の道は途中で辞める人が多いが,自分は分土を確立した.その自信には,数学や物理学ゆえ,歴史上初めての業績になるという根拠がつく.
そうして達成したことから離れることもまた,自分の特性である.一度極めたことから離れて,また打ち込む.それが好きだ.自分の人生はそういう動機で移っていく.一事に専心することが苦手だとすれば技能士の道には向いていないかもしれない.しかし,技能を確立するまで打ち込むのだから,技能をあっという間に身につけることも,考えものだ.もっとゆっくり悠長に技芸の習熟を考えたほうがいいのではないかと.
ウェブデザインの道を進んでいる.生涯にウェブデザインを手がけたサイトを数百作りたいと思う.あっという間に作ってしまえる技能.稼ぐにはそれくらいの早さが要る.来週来ることになったThinkPadで始める開発を早さの向上のために使い,あっという間にマスターしてしまえるくらいのスピード感を持ってやっていきたい.これが自分のやりたいことの少なくとも一部であることは何よりも確かだから.
