ここのところ,会話がろくにできないことが重くのしかかってくるようになった.仕事上の疎通もとれにくくなり,相手を悩ませてしまっているようだ.自分は障害者である.会話ができない障害である.障害の程度も軽くなく,障害年金をもらうほど,ろくに仕事にならない.仕事ができないのではない.それは職場の職員はみなそう云う.そうではなくて,会話をすること,話を聞いて,意味を正しくとって,返す,このことが,できない.
自分の考えを伝えることは,大学院まで出たくらいだから,それなりに鍛えられている.考えることは得意なほうだ.しかし,自分とその周りのことに比重が大きく,周りの人に思考が行かない.どうやって考えるものなのか分からないし,自分程度の思考で他人を考えても,就学児くらいの認識しかできないのだ.これは高校生のとき気づいたことで,発達しない.発達障害とは,他人の捉え方が子どものままなので,世界が外に広がって行くとき,そこに人がいないのである.
本を読んでも,ことばや文字や概念と,会話や人格や認識とが全く関連しない.従って,ことばは読むもの書くものであり,話すもの聞くもの会話するものではない.一日中ことばを発しない日があればどんなにか楽だろう.一日中誰の話も聞かなくて済むならどんなにか寛げるだろう.そんなことを思うほど勝手ではないが,一方で面白いと思う人がいることは確かだ.
ウェブがなかった十年前,人生に完全に絶望していた.ウェブは確かに希望をくれた.この文が公開されていることについて特に何も思わない.みている人があまりいないことを知っているのだ.自分が書いたものの読者は自分だ.朝の通勤時の読み物の著者が自分であるなんて,素敵なことと思わないだろうか.読み物を自由に書けることは,人生を充実させる趣味であるのだ.
