今から人生をやり直せるなら,高校生に戻りたい.老後は育った街に住もうと妻と話している.その街は母校の近くである.母校とはいえ2年間も通っていない高校である.縁は薄い.しかし,自転車で街中を駆け,港沿いを駆け,地理を把握している.今でも覚えているほどだから,印象深さでは他の街に及ばない.
個人史では,高校とその後の人生が連続していない.それは途中で突然転学して芸術の門を叩いたものだから,人によっては人生でもっとも素晴らしいものである青春は,意味も思い出も後悔もない忘れきった遠い数枚のモノクロの像でしかない.連続性.自分の人生において出来事は散発的に起こる.関連のない外的事象.しかしその分,思考の連続性は常に確保できる.
高校2年の国語で山月記を扱っていたとき,主人公の李徴があまりに自分に重なるので,遅刻して教師に反発してみたが,逆に高校全体に対して反発するようになり,その頃から精神衛生が保たれなかった.冒頭の漢詩のような文を一度で意味を玩味できる人と,解説を聞いても自分と関係のないこととして捉える人と,どちらが健康かはいうまでもない.漢字に詳しすぎるのもつらい.勉強もつまらなくなり試験もろくでもないものと思うようになったものだ.つけられた綽名は李徴だ.
自分は想像力に乏しい人間なので,人生の色彩は多彩ではない.何年も内的になにも変わらない日々が続く.だからこそ内的な変化を起こそうとする.無理にでも.そうするしか楽しみがないのは,酒や煙草や賭博や麻薬と同じかもしれない.想像力に欠けるという障害によって半生の出来事を説明できるのは痛快なことだ.つまらない人生は嫌だった.しかし,つまらない理由は障害のためだった.生まれつきつまらない人間である.この烙印から逃れることも,他の人格を演じることも,やめたほうがよい.つまらなさをいかに生きるか.これをずっと問わねばならない.
