文字を読み話を聞く.文字ならほとんどどの文字も読める.話も聞いた話だ.このように思うとどのようなことも知っているように覚えがちである.実際自分は漢字をほぼすべて読み書きでき,本を300冊読んだので,自信としていたが,いつしか頼りない万能感となって,遜ることをすっかり忘れていた.本を読んでばかりではいけないと思って読むことを怠け,理解できる話だと思って話を聞くことを忘れていた.しかしこれでは当然,いけない.
興味を傾けて聞く姿勢や,話から知らなかったことを新たな気持ちで面白がるような態度を,きょう礼拝の帰りに感化されて教わった.毎週のように何度も同じ説教を聞いている,と実のところ思っていたので,そういう聞き方もあるのか!と感じたのだ.また,心にみことばを蓄えるために礼拝に集められていると思っているが,自分よりたっぷり貯めて霊の成長が豊かな同年代の人物もいらっしゃることに,きょう初めて思い至った.
自分はまだまだ知らない.文字が読めて話を聞き分けるだけで,知識が豊かなわけではないし,世間に出回る商品を広く知っているのでもない.哲学や数学や宇宙など役立たない知識は人よりあるかもしれないが,それらを深めているからといって全てを知っているわけではない.興味が持てない事柄や,存在すら認めていなかった事柄が,ほんとうにまだたくさんあることに,思い至らずにいた自分が恥ずかしくも存在していた.
そもそも,知る目的は人より多く知ることではない.妻は人を幸せにするために知るような面がある.自分の知識欲や追求欲を満たすために知る時期は過ぎた.そこからもう私は知ることがない,われ何をか知らん,と嘯いてしまうのではなく,世の中を広く見渡したい気持ちを保って,世の人たちを軽んじることがなくなるように,自分の知識を高めていきたい.きっととても楽しい航行となるはずだ.
