そろそろこの1年は人生の大事な分岐点に当たると考えている.深刻なことではないが,ふらふらと過ごしてはならない.人生の充実を味わうために,自分の人生に起きた出来事を,連続して継起したこととして,物語にする必要があると考えている.というのも,今まであまりよく考えずに好奇心が連れるままに行動し,さまざまなことに首を突っ込んできたものの,一貫性に欠けるために役立っていない気がする,ましてや人生の充実には結びついていない.
ひとつのことを若い頃から追求して充実した人生だったと終わる人は,幸福に必要なことがいくつかしかなかった,少なくとも職業にしたことは3つもなかったろう.しかし自分は職業の変更を試みたこともあった,それ以前も専攻を替えたし高校さえ替えた.運の良いことにそれで人生が通り越えられたので,どこに行っても満足してやっていける自信はついている.でも,もっと他の充実もあり,充実した世界の奥行きをこれから知らなければならない気がすごくする.
充実させたければ同じ時間をもっとも快適になるように使える.どのような快適さか,経験したことがある快適さよりも快適な,別種の快適さがあるのではないか,また,快適さを求めなくとも,別種の目的で時間を使ってみてはどうか.そうやって考えながら時間を使えることに,最近ようやく思い至っている.人生はまだ長いので,今と同じように過ごさなくてよいのだ.そうでもしないと飽きてしまうか,退屈で絶望してしまうかもしれない.
人生は連続したものであるはず.自分はしかしその連結部をよく理解せずに生きてきた.他から見れば才能が高く見上げた点も見出せる生き方かもしれない.しかし,自分の中で連続していないと思い,それゆえ人生に意味が豊かに見いだせない状態である.意味はひとりで見出すこと,その方法を心に染み込ませて意味を考える訓練をすれば,32歳から始めたって遅くないはず.単にそういう年齢に差し掛かっているだけかもしれない.
