GWが明けた.仕事の日々に戻った.きょうもやはり新しい内容が待っていて,自分の神経状態を感じ見ながら,疲れすぎない時刻に退勤し,家での仕事をこなす,そうした日常に戻ってきた.学生の時思いこんでいたように,日常とは毎日が同じような日であること,という定義は不十分で,毎日新しいことが入り込んでいることを見つける楽しさを知らなかっただけなのだろう.そうした日常に,とても繊細な領域で変化が起きている.
仕事は評価されるので意味がある,との見方は,人は評価するものだという先入観の上での話しだと思っているが,評価せずにただ共感するにせよ,あの人はこんな人,という見方をしがちだ.そういう見方をしてはいけないと長らく思っていたが,ふつうはそうするようであるし,自分も少しはそう見るようになった.でも,たいして重要なことではない,そう思ってきた.
しかし,その小さな評価も,仕事の成果の一部かもしれず,仕事をある程度は重要だと考えている自分にとって,評価の重心をどこに置くか,変化が起きている.そもそも仕事の目的を他己評価に置くか仕事内容の充実度に置くかは,社会的正解がない自由問題だそうなので,ウェブの技術の充実に置きたいと思っているが,何のために充実させたいかといえば人様の役に立ちたいからであるから,良い評価を受けたいところにあることになる.
人様の評価が仕事の目的になり,その目的のために自己投資する,という見上げた習慣を労働人生の基調に置くと,多分収入も増え,技術も強まり,人脈も広がるだろう.でも,まだこの考えを受け入れられていないのだから,納得できていないか正しくないかであろう.ともかく,仕事と生活の比重を整えることと,仕事の目的を飲むことを,生活の目的と併呑することがまだうまくできていない自分を発見したのだ.
