自分が考えているとおりに休まることのない手がジャズの即興演奏の速さでプログラムを仕上げていく.開発職における私の夢である.いま自宅にあるキーボードを休む暇もなく打っている.1分間に1文以上が出来上がる.出来上がってくる文は誰かの文の盗作ではなく自分で書いた文である.人工知能が小説を書くようになったら小説を書く意味を失うから小説は書かなくなるという小説家がいたが,自分は文を作り続けるだろう.
以前の職場でキーボードを楽器のそれのようにリズムよくたたいていて上司からもっとExcelを使いこなすよう注意を受けたことがある.自分の考えの流れがすべて書き留められ,そのすべてが一連の文章になると,一年が作品になる.年を追うごとに主題は舞い降りて人生が駄作になる.重要なのは駄作であるという点だ.この物書きは自分のことしか書けない,自分の考えたこと,自分の身の回りで起きたこと,自分の意識をかすめていったことのうち書いておこうとしたことしか残せない.それゆえ駄作なのである.
音楽が流れてくる.昔よく聞いたジャズの名演奏で予備校の講師に勧められてCDを買ったのだ.その講師は勧という名前であって,現代文をよく読める図を黒板に書くことが仕事であった.当時の駅の側の道が思い浮かべられる.なるほど記憶はいくら齢を重ねても思い出せるものだ,思い出すことがあまりない記憶もこんなにもありありと映るのだから.西洋の音楽に切り替わる.大学の構内を自転車で移動している光景に変わっている.
こうした経験を書き記すことをプログラムで行おうとすると考えてみる.あくまでも描けたものは音や光景である.文字ではない.プログラムの断片が一行のコードをスパークさせてそれを書き留めたのではない.しかしそれは不可能ではない.じっくり熟成しておきたいあこがれだ.
