ここのところ時折考えてしまう,老後のお金の心配の話し.お金について心配するとなんだか不幸な気がしてしまう.もちろん教会で説教を聞いているおかげで,貧しさも富も避ける人生を選択できているけれど,老後に暇な時間ができると何かしたくなり,何かをするには何かを買わねばならず,お金は出ていくのではないか,という心配である.
先々のことで,まだ自分には早い話である.でも,予め考えておきたい話なのである.そもそも長く生きて神さまに感謝して生涯を閉じることが叶えば,お金を丁度使い切らなくても良いことはすぐにわかる.だいぶ余らせて召され,余計なお金は家族や教会に献金する,そのくらい貯め込んでおいてよいものではないか.多く持つことはしなくても,常に何割かを余らせておくのだ.
たいそう資金が削られる出来事が起きた場合,新たに稼ぐことは多分,難しい.その歳になれば生活水準もこれ以上下げられないだろうし,稼ぐには新たに人脈を伝手に仕事を頂くか,投資もうまく行う気力を保っているか,いずれもたいへんな準備がいる.老後の資金繰りは,今のうちから慣れておいたほうが良さそうだ.
多分,視力が良ければ,ウェブで読書ブログを書き続ける余生を送れるだろうことは容易に想像できる.聖書の研究を公開したり,懸案の小論文を投稿したり,他の主題を展開することができる時間があるのだろうし.レンタルサーバーとドメインの費用を支払えれば続けられる.こうしたことに人生の時間を割くことには意義があると思えるし,そうした仕事を探す力もついているかもしれない.神さまが導いてくださることが最善である.
