歯車幻想という概念がある.自分は社会の歯車のひとつとして働いているにすぎないというように人生を定義してしまう症状である.社会とは巨大な機械のようであり,労働者はそこに組み込まれて機械的な労働を強いられ,その労働力とそこそこの報酬とを交換する.その対価を社会が回るような物品を購入することに使い,結局社会のグリスとなっているだけであると.
前世紀にはもっとこの概念が蔓延していた.工場制手工業が始まったとき,資本家と労働者の格差が大きくなり,労働者は機械に利用されていた.資本論や共産党宣言が出版されたころから,利潤を生みだす機械を導入して仕事を自動化し,雇用を減らす企業が増加していった.機械化によって職人気質や労働者人口が奪われていった,ようにみえた.
翻って現代である.ラップトップなどのポータブルデバイスの普及によって,機械を手軽に利用できるようになり,労働者の裁量で機械を使って利潤が生まれるようになった.機械化と労働力は共存し,機械化が進むほど従来の労働は軽減され,新しい仕事を創造するようになった.昔の機械は物理的に巨大だったが,現代の機械は頭脳的で記号的になっている.
歯車幻想の根底には,人間の力では及ばない巨大で不変な存在を前提としていた.ところが現代社会は動的に変化させることができ,記号列には変化を加速させる力能があり,歯車を磨くだけでなくより存在感のある歯車に変えていくことや,歯数を増やすなどの戦略を立てることができる.巨大機械から解放され,機械を積極的に利用し,資本家に頼らず仕事を作れる時代でもある.
