4年前まで住んでいた街を電車で横切った.その街には診療所があり,3週に1回程度の頻度で定期的に通院している.4年前といえば,無職無収入無貯金で結婚生活が始まり,家事を覚えながら障がい者の生活を立て直していた時期.月8万の収入が入る仕事に巡り合えて,その最低限度の額に非常に感謝したものだった.1日4時間しか働けない職場だったこともあり,食材を求めるついでに街を隅まで歩いたものだ.
市内にはバスが循環しており,障がい者は福祉パス券で年額1,200円で利用し放題なのだが,バスには乗らず歩いて区内の工場や職人小屋を好んで見て回っていた.駅まで出れば商店やビルの並ぶ都会的な通りで昼間働くビジネスパーソンがスーツで颯爽と通り過ぎ,資本の動きを見ているようだった.駅周辺の繁華街からあらゆる方向の道を歩き,港の方面も鉄道に面した道も,大抵の街路は通った.
長い時間が経つ.今でもその街に用事があるとき,バスで向かう.診療所からの帰りはいつも歩いているが,月8万で働いた事業所に偶に挨拶がてら立ち寄って近況を交換する.区役所方面にも用事がある日は,図書館や河原沿いの道を歩いた.自分の知っている道の範囲が,もし地図があれば相当に広いことを確かめられる.確かめたいが,今はしない.
自分の住む街をどれくらい知っているか考えてみたとき,人よりよく知っているのではないかと思う.高校のときにその高校のある市を自転車で虱潰しに駆け回ったことがあり,それが習慣となり,大学でも大学院でも街をよく歩いて回った.美術学校のときも都内の建築を写生するためによく回り歩いた.高じて街の建築を写真に収めて文を添える「建築散歩」というサイトを運営するつもりでいる.
