最近自分がとても愚かで恥ずかしいと思うことが増えた.自分は常識が足りない人間なので,独創性や主体性を評価する人といるときはたいへん気分が良いが,常識人に責められたりするとすぐに苛立って落ち込んでしまう.社会には常識を尊ぶ人が少なくなく,独創性から程遠いと思われる人間も,時には常識的に考えて行動する.しかし自分は常識で考えられないことばかりする.
愚かさの反対は賢さではない,賢い人間は愚かさを同居させていることが多いものだ.まったく愚かな人間がいるとすれば,ある意味充分に賢いことが多いはずだ.愚かさの反対は常識であり,賢さの反対は恥である.常識を覆すような考えを持つには愚かでなければならないはずだし,恥ずかしさが伴うのであれば賢さが足りないはずである.
翻って,最近愚かで恥ずかしいと思うようになったのは,常識が欠けていることを責められる出来事が増えたからだった.しかし,先の定義によれば,非常識な自分は賢さが足りないのであるから,もっと学ぶ機会であることになる.何を学ぶのかまだ分からないが,少なくともこの恥ずかしさは永続せず,どこかで補われるものだろう.
賢くなる機会が来るのだ.賢さは世に測れば上には上があるが,自分は自分が満足して生活するために充分に賢くなれれば,それ以上は求めないことにしている.若い日のように歴史上の偉人らに追いつこうと四苦八苦した時期に,自分をある程度広げようとした試みのおかげで,常識が足りなくても生活できているのは不思議なことではある.
