Tシャツにジーパン.私はいずれも持っていない.苦手なのだ.そんなカジュアリティなら,スーツとネクタイを着て出かける.私服ではシャツがトップスのほとんどで,ボトムスには細身のユニクロを着る.シャツは色々な色を持っている.黒はない.黒い服も苦手だ.もし黒いポロシャツをドレスコードに採用されたら,間違いなくシャツとネクタイを着て行く.
もともと人間は着るものに悩んではならないのであって,いつも決まって着られるワードローブがあればいい.食事には定食が,住居には定住が,それぞれ定番なのだから,衣服にも定衣があっていいのである.いつも同じ服を着ていく.それはTシャツにジーパンだってそうであるから,いつもお決まりの服を着たくないという欲求からくる趣向ではない.
なぜこう考えているかといえば,Tシャツにジーパンを好む理由が分からないからだ.職場にそれで出かけて,皆がそんな恰好で,その服装で仕事するのだ.もし皆がTシャツにジーパンだったら,なんという強制だろう.スーツさえ浮いてしまって着て行くことができなくなるのだろうか.Tシャツにジーパンとかポロシャツにチノパンとか,それさえ一過性の制服にすぎないのではないか.
スーツが厭.そんな悩みを持たない人はそそくさと毎朝スーツを羽織って出勤し,いそいそと仕事して帰宅する.週末にまとめて洗濯し,新しい一週間に備える.スーツを着る理由は,服装に悩まず過ごせることだ.これは大きい.いつもスーツは心穏やかにしてくれる.定服に出合えた人は幸いである.彼は紳士と呼ばれるであろう.スーツでなくとも同じことだが.
