何かのない生活,ということばが好きだ.納豆のない生活,テレビのない生活,猫のいない生活.スーパーに行っても納豆と縁がないという意味だけでなく,納豆が希少だった時代,納豆の在庫が災害等で切れている時,納豆がまだ発明されていない時代,さまざまな時間軸で,何かはなくなりうる.その缺欠に思いを馳せるとき,至極豊かになる気がするのだ.
なくても暮らせるなら,なくていい.そんなものが,世の中には溢れる.しかし,ないと暮らせないものも多くある.屋根,寝具,仕事着,トイレや歯ブラシや電気等々.必須の日用品はしかし安価にも入手できる.お金をかけるところにはかけ,かけないものにはそれほどかけない,いらないものとは縁を切る.その質量の乙張が,管理の骨であるように思う.
煙草,酒類,新聞,テレビ,車,自転車,子ども,スポーツ用品,そしてもちろん,ギャンブル,ドラッグ.縁がないものが増えている.メジャーなものであろうと,切り捨てられると思えば勇断し,新たな暮らしを定義する.家と食品のほかは,本,洋服,論文,PCの4つで生活が回っている.豊かな気持ちが続いている.
買うことで得られる豊かさは,神経の都合で数週間しか続かないらしい.投資は根気強さが付くし,予め無駄から遠ざかり,余計な買い物をしない.投資に慣れれば,容易に将来の希望を抱ける.実は職場近くのマンションを購入できるくらいの資産を持っている.その物件を買って家賃収入を得る手管も実践できる.なるほど,お金はお金の知恵を呼ぶ.まだ34歳が目前の夜であった.

コメントを残す