私は長いこと学校が嫌いだった.学校から学んだことは何ひとつないことを自慢してさえいた.どうして黒板を写して試験のために覚えて忘れることを繰り返すのか,もっと重要な問題を考える時間を与えてくれないのはなぜか,私には教育の意義は理解できなかった.ある大学教授が,学ぶこととは,自分で学ぶしかないことを悟ることだ,といっていたり,ある実業家が,学校で学べることは何ひとつない,と断言していたが,大きく肯いたものだった.それは学校でプログラミングを教えない時代の空気でもあった.けれども,最近考えを変えた.私は学校で何ひとつ学ぶことができなかっただけなのだ,と.
専門教育機関である大学に進学する際に,すでに専門教育課程で選んでいる賢い学生が多くいた.ただ,その中で課程を修めて専門職に就職できるのは半分もおらず,折角入学した大学を転学する者もいた.就職がうまくいかず夢を諦めたり妥協して納得する道を模索していた者もあった.彼らはしかし,大学までの教養課程が,人生の選択と決定に役立ったといっていた.このことを私は最近漸く理解した.大学で出版系や計算機について深めた知識がなければ,今の自分の職業にはありつけるはずもないからだ.能力は上回るのに専門知識を身に付けることに四苦八苦する知人がいるので思うのだ.
私の出身の大学は父が考えに考え抜いて選んでくれた.受験生だった当時の自分は,工学には将来がない,理学には就職先がない,どこへ行っても興味はある,などとほざいており,両親はさぞ困ったと思う.幸い,一度始めたらやり続ける習性のお陰で,父の選んだ学部に無事合格した.そして,その学部に入ったことの良さを,つい最近になって感じる.このICTの時代に,何も焦りも諦めも持たずに,ITの勉強を欠かさずに楽しく暮らせるなんて,大学生だった自分は考えもしなかった.大学でプログラミングや計算機システムを齧っておいたお陰で,今の暮らしは極めて良いものになった.
それでも,高校までに印象付けられた学校のイメージはまだ覆っていない.幼稚園,小学校,中学校,高校.一体自分は何を学んだのか.分からない.一体何を学べたのか.分からない分からない.学べなかったから,今幾つかの苦労を負っているのかもしれないが,障がいの所為ともとれるから学んでも矯正されなかったのだ,そう思って自分を納得させる.時折,学校で学ぶ目的は何なのかと考える.学校とはどういう装置なのだろう.大学でそういった内容の講義があったが私は受講しなかった.勉強は確率を変える行為だと以前分かったが,学校は勉強する場でしかないのか.もう少し考えれば答えられそう.

コメントを残す