実用的ではないものに興味がある.洗練された無駄のないデザインより,武骨で無駄のある設計.持ち物はそれなりのものを使っているが,今となってはの話し.独身時代は無用の長物ばかり部屋に集め,両親に怒られたものだ.関心の発端は,小学生のとき「今は無い星座」を知ったときだ.星座は88種類ある.天文学で天球を隙間なく埋めているので,境界を争奪する紛争でもない限り,星座は88種類であり続ける.
フラムスチード星図の挿絵を見たとき,そこにはないはずの絵が描かれ,そこにあるはずの星座がないことがあった.注釈や本文を見ると,そこに描かれていた星座は今や存在せず,新たに加わった星座が公式に認められているとする記述があった.この「今は存在しない」物事があることにスリルを感じたものだ.それ以来,当たり前に存在する物事の昔には,今は存在しない設計やアイデアがあったことにしばしば思いを馳せた.
工学の歴史に関する本を5冊持っている.大学院時代に愛読したものや,無職だったとき夜分の密かな楽しみとしていた本もある.数学と科学の発見によって発明が続々となされる過程が,人類の繁栄を物語っていて,この現代をありがたく感じられる.生きにくいといわれていても,周りにあるたった一つのものでさえ,何百年もの間に本当に多くの先人の知恵の更新と専有と分配によってここにあることを知ると,なんと恵まれた時代かと思うだろう.
今わが家には,不用なものとして整理するミニマリストの妻と,不用なものを譲り受ける収集家の夫がいる.その男は部屋がもので溢れてしまいかねず,なんとか見て呉れは良いよう余白を活かして収納するよう気を付けているが,妻の部屋に比べれば乱雑である.ものが多すぎると妻は云う.夫の部屋には本と服とコンピューター,そしてキーボードに紙類,科学雑誌の山.殆どそれらで9割を占める.だから夫は云う,実用的ではないものだから,無駄はない.

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