事典類を多く読んでいると,ある読み方が身についてしまう.ふつう事典は必要な項目を調べるために使う.そして,必要な項目の周辺にある記事に目を遣る.それくらいで事典は読者に閉じられる.しかし,事典をもっと創造的に読み寄る方法がある.それは,まだ載っていないことを考える,という態度である.建築家の磯崎新が,前衛とは終わったことを知っていることだ,と述べていたことを思い出す.
事典に載っていることは,すでに誰かが考えだし,多くの人々を興奮させ,産業になくてはならなくなった知識だ.その分野に参入するには必須の教養である.そこでその分野の事典を全部読むのだが,なぜその分野に入ったか動機を考えてみると,自分で作り出したいからではないのか.新しくその分野に貢献し,足跡を残したいからではないか.ならば,事典を「すでに達成された物事の集合」と読んでみてはどうか.
アイデアは何かと何かの結合だから,事典の項をやみくもにつなげてみても,何らかの形が現れるだろう.時には見たこともない,事典にも載っていない形態を見出すかもしれない.覚えていてほしい.数学には別解が何通りもある.工学にも生活がより素晴らしくなるアイデアが今後もたくさん求められる.万物の理論が樹立すると噂の最新科学も,ひょっとすると終わりは来ない性質のものかもしれないではないか.
事典は今後も厚くなる.検索機関に頼っても,当の検索機関の設計が変わるかもしれない.例えば,結合式検索機関は,検索語を入れると,一見関係のない鍵語が並ぶのだが,検索語と鍵語の間に描かれた結合の内容こそを検索できるというものだ.「犬」「風呂」で検索したとき,犬が風呂に入っている写真は勿論,犬用の風呂やその入浴剤の成分,または近所の銭湯の看板犬が出てくる.その検索結果は別の検索語との網目の一隅に過ぎないのだ.

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