今の自分の職能はさほど高くない.世の平均からみれば特殊技能でも,自分の基準からすれば序の口だ.自分はもっとうまくなれる,もっといろんな技術をものにして,ものすごく沢山作品を残して逝きたい.そうした目標をこのウェブの分野でやっていくと決めたから,まだ多くのことを充分に知らないことを自覚する.得意のCSSでさえ,きちんと知っていることは両手に少し余るくらいかと自分では思っている.だからこの人生に無駄な時間はなく,無駄を作らない.それが正しいと思いがちだ.
しかし.振り返ってみれば,自分が最も大切な決断をする時期,自分に最も身に付いた学習をした時期,それは自分が最も何もしなかった時期なのだ.義務教育時代は,3年間ほぼ誰とも話をしなかった.高校で日本語を外国語で相対化した時代は,ほぼ登校しなかった.受験期は定型の受験勉強をせずためになる本を読んだ.大学で物理学を深めた時代は自宅に帰ることさえしなかった.就職活動期は一日の殆どを睡眠に充てた.社会人数年目は収入が殆どない中で暮らした.自分を制限することこそ,学習にとって重要なようである.
無駄な時間は無駄を溜め込むので「材料」が増えるのかもしれない.無駄を省こうと思った時から読書の幅が狭くなった.専門は尖ってきたが,尖らせるまでに多くを身に付けていたことが幸いし,今では珍しい職能に結実している.珍しいほど仕事が作れる時代である.定型的な経路を通過して専門になるより,無駄だらけの自分を彫刻して専門を見出すほうが,恰幅のある仕事ができるし長持ちする.無駄と専門とを私はこのように考えている.
なので再び無駄を作ろうと思う.この無駄は次に来る時期に備えてのことである.どのような時期が来るかといえばはっきりとは言えないけれど,世の人が希望を見出す時期に賢者は絶望を見る,という言葉に従い,自分でまず次の成長を起こして殻を破りたいのだ.無駄は主に音楽と読書だ.音符と文字だ.そう,コンピューターから離れようとしている.なんと大胆かと自分でも思う.プログラミングは職場で思う存分できるから満足できる.その職場で役に立つ無駄を沢山仕入れる.そう,人生の休息とは人生に無駄を仕入れることなのだ.

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