私は高校生の時,進学校を自主退学して芸術の門を叩いた人間だ.当時の感覚を今も思い出せる.ウェブを職にしようと,自宅のWindowsにAdobeを入れ,ファッションや建築等,当時の先端サイトのソースコードを読み始めた頃だった.小説も書いた.人にみせられないものも公開した.それでも,多くのアーティストに学べた時間は,今思っても貴重な時代だった.
大船でコンテストに参加した夜.渋谷の宮下公園で夜更かし.深夜に新宿のマックで初対面の女子と語らい.それから建築水彩を描きに赴いたとき,自転車で海岸へ出向き地平線をぼうっとみたとき,昼間の街をよく観察したとき,神田で買った本を川に沿って歩いて読んだとき,こういったひとつひとつの出来事が,内面に刺激を与え,情熱となって燃え,私は大きく変えられた.
今そんな生活を再び行っても,当時のように感覚を鋭くすることはできない.多くの街も様変わりしただろうし,同期や先輩たちはそれぞれに活躍し,再会も難しいだろう.今私は結婚して2人で住み,研究所のウェブエンジニア兼デザイナーのようなことを仕事にしている.当時の自分が考えもしなかった幸福な生活.高校生の時の決断がなければ,親の勧めるように県庁の職員になっていたか,医療機関で働いていただろう.
当時の作品の多くは散逸したが,今でもいくつか持っている.48日間あるカレンダー,詩,水彩や木炭デッサン.周りは驚いてくれたが,最近も合唱団に入ったと云うと驚かれる.門を叩けば開かれる.そこには師匠が座っている.芸術に纏わる迷いの道を避ける方法とは,ただ訓練のみ.そしてそこに信仰が加われば,迷いは完全になくなる.このことだけは高校生の時,知っていてもよかった.

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